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札幌地方裁判所 昭和46年(行ウ)1号 判決

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 黒木俊郎

同 横路孝弘

同 江本秀春

同 山中善夫

被告 札幌労働基準監督署長

右指定代理人 大沢巌

〈ほか五名〉

主文

被告が昭和四一年五月一〇日原告に対してした労働者災害補償保険法による療養補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

第一  原告の請求原因1、3、4の各事実は当事者間に争いがない。

第二  被告は、原告の疾病が災害補償事由といえるためには労働基準法施行規則三五条三八号に該当しなければならないところ、同条一号ないし三七号の場合は、業務と発病との因果関係の存在を一応推定し、右以外の疾病は因果関係がないものと推定する建前をとっているので、同条三八号に該当するというためには疾病が業務に起因することが明らかな場合でなければならないと主張するので、この点について判断するに、労働者災害補償保険法によって療養補償給付の支給対象とされる疾病は業務上の疾病であり、その範囲は労働基準法施行規則三五条の規定するところであることは労働者災害補償保険法一二条二項、労働基準法七五条によって明らかであるが、右にいう業務上の疾病とは、業務と疾病との間に相当因果関係があることを要するとともにそれをもって足ると解するのが相当である。労働基準法施行規則三五条は、その一号から三七号までに業務上の疾病とされるものを具体的に掲げ、三八号において「その他業務に起因することの明らかな疾病」をも業務上の疾病として規定しているが、同条一号から三七号までは相当因果関係が定型的に認められるものを列挙したにすぎず、同条三八号は右以外のものでも業務と疾病との間に相当因果関係が認められるものはこれを業務上の疾病として規定したものと解するべきである。右三八号が、「業務に起因することの明らかな」という文言を用いているからといって、同号が他の各号の場合に比して業務上の疾病か否かを認定するうえで要件を加重しているものとは考えられない。

第三  そこで原告のタイプライター作業とレイノー症候群との間に相当因果関係が認められるかどうかについて検討する。

一  被告は、レイノー氏病の発病原因がタイプライター業務といかに関連するかは医学上も解明されておらず、いまだ不明であると主張するが、鑑定人渡部真也の鑑定の結果(以下単に渡部鑑定という。)によると、原告に発症したようなレイノー現象を伴う疾患は、多くの学者によって一次性レイノー症候群と二次性レイノー症候群に大別されており、二次性のものは外傷的要因や特定の疾患に際して起るものをいい、それらの要因がなくて起るものを本態的なもの、何か特別の体質、素因があって起るものとされていて、後者は一次性レイノー症候群あるいはレイノー氏病と呼ばれていること、二次性のものは別表(2)のように分類されており、二次性レイノー症候群の外傷性要因の中にタイピストやピアニストという職業要因があげられていること、またタイピストの職業性頸肩腕症候群にもレイノー現象を伴うものがあることが認められる。したがって、被告のいうレイノー氏症が一次性のものを指すとすれば、タイプライター作業とは関連がないといえるし、二次性のものをも含む趣旨であるとすれば、前記各場合にはタイプライター作業が二次性レイノー症候群の要因となりうることが医学上認められており、いずれにしても、関連性が不明であるとはいえないと解される。

二  つぎに、被告は、原告には多発性リウマチ性関節炎、高血圧症、胃障害等の基礎疾病があったし、レイノー現象も単に手指のみでなく両足趾にも認められたので、原告のレイノー現象の発生には何らかの本人の先天性素因が関与していることを疑いうる可能性が十分にあったと主張するので考察するに、≪証拠省略≫を総合すると、次の各事実が認められる。

原告は昭和二八年七月一六日千歳渉外労務管理事務所に採用された後、昭和三〇年二月までは駐日米軍真駒内駐屯部隊陸軍補給隊に、同年三月から昭和三三年六月までは同空軍補給隊に、同年七月から昭和三八年三月までは同陸軍契約課にそれぞれ配属され、いずれももっぱら英文タイプライターの作業に従事していたものであるところ、その仕事の内容は、午前七時半から昼休みをはさんで午後四時半までタイプライターの作業に専従するというものであり、また時には休憩をとらずに右作業を継続したりあるいは残業をすることもあったが、昭和三三年六月まではそれほど繁忙ではなかった。ところが同年七月に陸軍契約課に転属してからは、仕事の内容が公文書や契約書の作成というミスタイプの許されないものになり(ミスタイプをすると消しゴムによる修正は許されず、打ち直しをしなければならなかった。)かつ作業量が非常に増大した(仕事が多いばかりでなく、複写枚数が多く、そのため指先に力をこめてタイプしなければならなかった。)ばかりか、昭和三五年四月にいたるまでの間は、同課における英文タイピストは原告一人のみであったため、前記のような勤務時間の外に夜間九時ころまでの残業が連日続くこともしばしばであった。そのような状態が継続しているうちに、昭和三四年秋ころから原告は腰部および背部に痛みを覚えるようになり、次いで昭和三五年に入ってからは多量なタイプライター作業に従事した翌朝などに手指が腫れて握れなくなるという状態もおこるようになった。その後昭和三六年夏ころに上司である米軍将校の交替があったが、新任の米軍将校の原告に対する態度は威圧的であり、そのため職場における原告と右米軍将校との人間関係は、原告にとって強い精神的緊張を伴うものであった。そして原告はそのころから前記のような症状に引き続いて、右手首の腫脹や右腕のだるさ、痛み、肩こりが起り、同年秋頃からは指にも痛みを感ずるようになり、左手にも同様の症状が現われた。昭和三六年一一月に従来の手動式タイプライターが新たに電動式タイプライターに取り替えられたが、電動式タイプライターは手動式タイプライターと比較して一回の作業で作成しうる書類部数が少なく、そのために従来一回の作業で完了していたものが二回の作業を要することとなって結果的には作業量が増大したのみならず、電動式タイプライターはわずかに指を触れただけで機械が動き、直ちに指を離さないと同一の字が続けて打たれることになるため、原告の精神的緊張は従前よりも一層増大することとなった。そして右のような状態の中で昭和三六年一一月ころから手背部に発作性の発赤斑が認められるようになり昭和三七年一月にはチアノーゼに変りそれがやがて手指にも及びかつ冷感としびれ感を伴うものへと発達した。そして前記のように、原告は同年二月にいたってタイプライター作業中に突然両手指先が白くなりかつそれにしびれ感、冷感および針で刺されるような痛感が伴うというレイノー現象の発症に襲われ、その際には右症状は約二〇分ないし三〇分で消散したものの、日がたつにつれて右症状が発症する回数は増加してついにはタイプライター作業もおぼつかなくなり、さらに約一か月後には両足趾にも両手指におけるより軽度ではあったが右と同様の症状があらわれた。そこで原告は同年五月初旬ころ北海道立千歳診療所に赴き診察を受けたところ、若年性高血圧症ならびに胃炎と診断された。その後原告は仕事に忙殺されて思うように診察、治療も受けずにいたところ、昭和三八年三月二四日右足首関節に腫脹を生じ、千歳市の伊勢病院で多発性リウマチス性関節炎との診断を受けた。昭和三八年四月一九日原告は札幌医科大学附属病院において精密検査を受けたが、その結果レイノー氏病であるとの診断が下され、同年七月一一日まで右病院において入院加療したところ、病状の一応の回復をみて同日退院し、同月一七日から職場に復帰して再びタイプライター作業に従事した。ところが同年九月中旬ころレイノー症状が再発し、札幌医科大学附属病院に再度入院した。その後同年一一月一六日、原告は高熱に見舞われて前記伊勢病院に入院したところ、リウマチ熱との診断を受けた。また原告は昭和三九年五月には手足の関節痛に襲われて札幌医科大学附属病院に入院し、レイノー氏病ならびにリウマチス性関節炎との診断を受け、手足の関節痛は入院後間もなく治癒したが、しかしレイノー現象の方は、一時的に軽快したこともあったものの、同年九月に発作的にあらわれるにいたり、その後昭和四〇年六月ころまで継続して発症した。

以上の通り認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右事実からすれば、原告には被告主張のような疾病があり、レイノー現象も単に両手指のみでなく両足趾にも認められたことはそのとおりであるが、渡部鑑定によると、高血圧症や胃障害を起す素因あるいは起していることがレイノー現象を起し易くする素因であるとは医学的常識からは積極的に判断しがたく、むしろレイノー現象を伴うある種の疾患では高血圧症や胃腸障害が二次的あるいは本態的に起り易くなることが充分考えられ、原告の高血圧症や胃障害は職業性頸肩腕症候群の背景要因とも随伴症状とも考えられる自律神経機能異常(原告の場合、頭痛、頭重、不眠、いらいら、発汗し易いなどの症状)の範ちゅうに入るものと解されること、二次性レイノー症候群においても足趾にレイノー現象が起ることがしばしばあり、足趾にもレイノー現象が起ったことをもって直ちに一次性レイノー症候群(レイノー氏病)と断定することはできないこと、またレイノー現象はリウマチ性関節炎には稀にしかみられず、リウマチス性関節炎の診断基準(どのような症状がそろえばリウマチス性関節炎と診断するかという基準)にはレイノー症候群は含まれていないこと、一方レイノー現象が起る以前に原告にみられた前認定のような各種の症状は職業性頸肩腕症候群と解せられるところ、右職業性頸肩腕症候群はキーパンチャーやタイピストの職業病として近時明らかにされてきたものであり、レイノー現象を伴うことがあること、リウマチス性関節炎はタイプライター作業とは無関係に成立する疾患であるが、原告の場合タイプライター作業に従事しなくともリウマチス性関節炎が発症したかどうかは医学的には証明できないにせよ、前認定のような原告のタイプライター作業の内容、程度からすれば原告にリウマチス性素因がなくとも職業性頸肩腕症候群が起ったであろうと判断することは労働衛生学的に充分根拠があること、そしてリウマチス性疾患がレイノー症状を伴う頸肩腕症候群の素因になっているとする客観的事実はなく、素因になっているということを医学的常識から推定する根拠はそれを職業的要因に起因するものと判断する根拠よりかなり薄弱であること、逆にリウマチス性疾患が頸肩腕症候群とくにレイノー現象を頻発するような自律神経機能異常によって発症あるいは増悪されたかも知れないと考えることは医学的常識に必ずしも反しないことがそれぞれ認められる。

そして、以上の各事実に、前認定のごとく、レイノー現象が起る以前の原告の諸症状は、原告のタイプライター作業による肉体的、精神的負担が著しく増大した後にあらわれ、その負担の増加に伴って増悪してゆき、やがてレイノー現象の発現にいたったこと、原告のレイノー現象はタイプライター作業を中断して入院加療につとめた結果一応回復したものの、その後職場に復帰して間もなく再発したこと、一方原告のリウマチス性関節炎は原告にレイノー現象が発症した後にあらわれ、関節症状が治癒または寛解してもレイノー現象は殆んど改善されなかったこと、また≪証拠省略≫によると札幌医科大学附属病院において直接原告の治療にあたった上田侃医師は、原告のリウマチス性関節炎とレイノー現象とは別個のものである旨の診断を下していることが認められること、渡部鑑定によれば、原告の右第五指(小指)末節はやや変形していてタイプ動作がうまくないため、本来第五指で打つべきキーを第四指で打つくせがあり、第四指はもともと運動性の悪い指であるにも拘らず作業負担が多くなるが、チアノーゼなどの病状がこの右第四指でもっともひどいことが認められることを総合して判断すると、原告は過重なタイプライター作業という職業要因に基づいてまず職業性頸肩腕症候群が生じ、その増悪によってレイノー現象を伴うにいたったと解するのが相当であ(る。)≪証拠判断省略≫

そうすると、原告のレイノー現象を伴う頸肩腕症候群と原告のタイプライター作業との間には相当因果関係があるというべきであるから、原告のレイノー現象を伴う頸肩腕症候群は業務上の疾病であると解するべきである。

第四  そうだとすれば、被告の不支給処分は事実の認定を誤まった違法なものであるというべきであるから、その取り消しを求める原告の本訴請求は理由がある。

よって、原告の請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松原直幹 裁判官 稲守孝夫 太田昇)

〈以下省略〉

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